忘備録

MAD?

6/1 2022

六月に入った。

自分なりに、ひとつずつ、またひとつ、と、そうしてまたひとつ、次のひとつ…と、やってきたつもりだけれど、それをして、辿り着いた先というのは先天的なものだけを生かしてくれる場のように思い、複雑に苦しく、文章を綴る。

 

苦しい身の人にはその人と似た人が集い、そうして振り返り、あの頃の可愛らしいあやまち、として心に留める。それは大人の風習のようだけれども、私はそれの逆を思う。

それは全くもって可愛らしくはなく、それこそが本当だと言いたい。

近しい昔の人々がほんとうにゆっくりと離れてゆくことそれは、後天的に、何枚も何枚も積み重ねた、すぐに破けてしまう柔らかな紙が剥がれ落ちていってしまうようなもの。わたしすらも消えてしまうようなもの。

それはあまりにも屈辱的で、そうして、悲しいこと。

 

薄い和紙や、ベールのように繊細な人々が、後天的な苦しさによって創り上げなくてはならなくなったそれぞれの作品と触れることがもう無いのかと考えてしまうと、わたしはもう、生物学的に正しく生きてゆく一本の糸が掴めずして迷い子となる。

 

細い糸というのはどうしてもこうも惹かれる。清らかで涼しげなあれら、どこへ、どこへ、と幼子が服の裾を引っ張って聞くような純粋さでそれを問い、問われる心になる。

 

風に揺れる草花は、都会で生き残ってゆくことが難しい。そこで消えるのが一番好きだというのなら、そうすればいい。それが本願だ。それだけは純粋でよい。清らかであればあるほどいい。失われそうなそれを守るには、また、いちから、作品を創り上げてゆくほかないのだ。都会のそれで消えてしまったのであれば、また、ひたむきにしてゆくこと。わたしはそれしか知らない。それしか知りたくない。それしか知らなくていい。わたしは死ぬまでこうなのだと思えば、それこそが救いとなると。

 

いつかまた消えてしまうこれは、一枚にも至らないだろうことだけを感じ取る。

 

 

 

 

 

 

脳神経外科、トラウマ科、心療内科。

に、分けた方がよいと思う。

 

 

精神科に入院した過去から引っ張る。

 

精神病は、トラウマ有り、神経質や真面目な気質、独創的な思想の持ち主がなる、など。

私は常そう思っていた。

例えば、鬱だと聞いたなら、お辛かったでしょうとその人の気質を持ち上げる。

 

ひとつ忘れていた。

これは病であった。

病気であり、医学であり、科学だった。

脳神経の異常を疑うこと。

 

世にはびこる精神の何か思わせる言葉ら、メンタルヘルスに鬱はじめ、独創的思想・気質、(しいては)奇才、思慮深さ、真面目、虚弱、精神的未熟性。

 

そんなものらと精神の病とは全く別のものだった。ただ病に、「精神」とつくから文化的、文学的、社会学的な言葉を安易に吸い寄せ、医学の要素、脳神経物質の異常だという単純で、明快に洗練されたものが消えた。

 

 

精神科にいる際、そこにいる患者らの過半数は、ただ脳に振り回され、薬を飲めばすぐに落ち着いており、正直私はその様子に嫉妬していた。少なくとも上記に挙げた、「精神の何かを思わせる言葉ら」に当てはまる人々では無かったからだ。しかしながら数名は、それらしき要素があった。ただそしてそれは、当たり前の事であった。公立の学生時代に振り当てられたクラスには、一定の割合でそういう人らがいる。そしてそういう人らが精神の病かといったら断定はできないが、多分そうではない。無差別におこる身体疾患と同様なだけであった。

 

 

私は大きな勘違いをしていた。精神の病を抱えてる人らは、死、もしくはそれに近しいものについて思考した事があると思っていたが、特段思考していなかった。私の居場所は無かった。居場所が一つ消えるごと、他の居場所にうつろう。分かり易く。消去法…

 

 

 

 

 

易しさと優しさ

 

どうも精神疾患というと遠いシモーヌヴェイユやキルコゲールやらを持ち出し難しく考える事が主流である少数派の人々と、占い本とも言えるような自己啓発本とも言えるような治療本に固執する多数派に分かれるように思う。前者は優しいが易しくない。後者は易しいが優しくない。ふたつ欲しいのは我儘と言うのは、ちょっと可哀想だ。

タイトル: 記録

精神科退院後、グループホーム(生活困難、他人への危害の恐れ、就職不可などと判断された障がい者のため、家賃を約8〜9割免除する制度による住居の提供)に入居。

 

障害年金2級を申請。申請許可。

 

グループホームでは一人に対し一人、世話人が付く。世話人は事務手続きや生活援助・指導、福祉サービスの提供を行う。住居者は平日、世話人に毎日直接挨拶をしに行く。土日祝日は間接的に(メールか電話)連絡をする。

 

グループホームは集団生活か、一人で暮らす、二つの選択肢がある。後者になる。

 

住まいの地域によるが、目安として一年の契約。

 

次の住居先が決まらない場合、延長届を出す。私は二度提出、約一年8ヶ月を過ごす。

 

今月、7月26日に引越しをする。グループホームから他のグループホームに移る人もあるがその選択は除外された。

 

 

 

(仕事のキャリア、結婚、子どもを持つ事を列挙した後)このように普通に生きてゆく事が果たして僕に出来るのでしょうか。僕はつくづく不安になってきました。普通に生きていくために僕は中学生から、いいえ、今から頑張りたいと思います。

 

と小学生の頃好きだった男の子が文集に載せていた文を、私はやっと頭と肌、2つをもって理解した。慶応中学に入学した彼のその後は知らない。私が今、何をしているのか知る人は、あまりいないだろうと思う。法律に触れるようなことはしないこと。水商売はしたくないこと。規則正しい生活の下、なるべく清明潔白に、地道に努力すること。人が変わったねと離れてゆく人が多く私自身もその感覚があるゆえ悲しく悔しい、これしか頑張れなかった。今の私は謙虚に生きてゆく他ない。頑張っても他の考えが私の頭の中にはない。私の限度はそれほどであり、それくらい。感情より世間体より他者評価何より、確固たる無味の事実が残っています。

 

 

 

 

 

せめて綴ることくらいさせてくれ。

 

目に見える弱者を見ては、羨ましいと思う。

人は完璧に出来ておらず、無意識下に、本能的に、美しいものや正しそうなものを優位だと思い易くできているのだろうか。できているのだろう。目に見える弱者はそれにヤられているけれど、それのお陰で政府や福祉に救われている。けれど目に見えぬ弱者は政府や福祉には助けてもらえない。税金を納めていれば、何も言われない。勤め先が官公庁なら、何も批判することはない。収入源が明確ならば、何も規制することはない。

身なりがしっかりとしていれば、育ちが良さそうに思われる。ある程度の教養があれば、大学中退でも批判されない。ある程度の学力のある大学であれば、それはたとえ中退であろうと面接で嫌な顔はされない。言葉遣いが柔らかければ、誰も私を、少なくとも表では批判しない。そんな 1+1=2 のような簡単な二極化で社会は成立しているのだとしたら、私の考えてきた事柄や経験は全てモラトリアムの内に納め、外部からは絵に書いたように幸福に見える教育環境のなかで浴びるしかなかった苦しみは、忘れていい。そういうことになるのだろうか。

同じ家庭環境で育った弟は、立派に成長している。父の弱さを少ない言葉だけで鋭く批判し、父を実際に泣かせる。母の無責任さを、社会的な言葉で括り付ける。弟は立派だ。学級委員もした、バスケ部の部長も、生徒会も、バレンタインのチョコレートの数だって幼稚園の頃からほぼ水平に保っている。弟は小さい頃から、世界に旅に出たいだとか、とりあえず男の自由を求めるところがあった。どこの国に行きたいのかは知らない。弟が中学生の頃、スーパーでイワシを買ってきて、きちんと三枚下ろしをし、つみれのお吸い物を作った。ブルーカラーとホワイトカラーの現実を知り、壁を殴り、穴を開けた。夏に見つけた、車の下にいた死にそうな子猫を、飼いたいと何かの使命に駆られたかのように言った。自分は猫に好きも嫌いもないが、この猫だけは特別だと言わんばかりに、適度な距離を保ち、自分の恋人のように愛でた、今も。私の弟は立派に育っている。その姉も立派に育っている。ある程度の学力のある大学を病気で否応なしに中退したが、どんな時でも身なりには気を遣い、ある程度の教養があり、であるから人はその姉に厳しい言葉を使わないけれどそれに過剰に乗る事のない厳粛さを持つよう心がけ生活した。人を批判しなければならない時はなるべく柔らかい言葉で批判し、自分が悪くなくとも相手に深い傷をつけてしまった時は謝罪することを覚えた。せめて綴ることくらいさせてくれ。私は、モラトリアムと呼ばれるであろうそのような事を、決して青春のそれだなどとは思わない。それは私のアイデンティティの小さな芽。花が咲くにも関わらず、その芽が一生懸命、芽を出す度、もぎとられる。もぎとるにはあんまりに容易なほどに柔らかい芽の茎を。嘲笑されるのは物心ついた頃から家庭内において十分、頂きました。もう入りません。お腹がいっぱいなのです。せめて、綴ることくらいさせてください。体に合わぬ食べ物の味を、もう口にする事のないよう、忘れることはしたくないと。どこへ行っても変わって見えるのは最初だけで、金や名誉や容姿など、それの切符にしか過ぎず、後に残るのは、その芽だと。せめて、綴ることくらいさせてください。その芽をただ、もぎとられない場所に置いておきたいと。私は、そのために日々、小さく小さく頑張っています、と。今、この瞬間も頑張っています、と。

 

 

忘備録

精神病への崇拝。

精神を犯された人間は、そうでない人間より尊い特別な人間だという流行りにヘイトしながらも、根拠を問われたら答えるのが難しいことがあった。苦しみの中にいること、それは地上の人間らが色彩豊かな景色の中で様々な種類の物語を話し合うのを、藍色の深海から冷たくなって眺めること、と。大海は知らぬが、海の深さは知っている、と。しかしながら私はこれらの感覚に精神病という名を与えるのは不正解だと、それは近頃、私なりに辿りついた考え。

 

精神病と聞けば、神経の衰弱さと、慈悲の心を連想させ、贅沢な考え方には孤高なようなものと言い換えてくれる。しかしそれには何かが足りないように思われる。精神病は医学、それはつまり科学的なもの。私たちはあまりにも感情論で心の深さを語ってはいないだろうか。

 

精神病は、脳の疾患と言ってもよいほどである。精神薬は、脳内分泌液の足し算と引き算をしている。

 

精神病の人々を、私は二度の入院を経て、見て思うこと、それは精神病とは脳の病気と非常によく似ているという点である。それはつまり、薬で治るということである。藍色の深海を知る人々が、精神病だという崇拝には終止符を打ちたい。

 

心臓病患者の中で治る人間、治りにくい人間。その両者の違いはどこかと問うたら、それは深海を知っている人間なのか、それとも大海を知ってる人間なのか。

精神病の病名を与えられた人間の中で治る人間、治りにくい人間。その両者の違いはどこかと問うたら、それは深海を知っている人間なのか、それとも大海を知っている人間なのか。

 

貴方は、貴女は、精神病だから悲しみの美しさを知っている人間なのねと心休めてしまうのは夢物語に過ぎない。

 

生きづらさの鍵を、そのように名前のついた精神論にに委ね、託すことも肌に身につけるが、しかしかながらそれに少しばかりの、又は大きな、違和感を思うのであれば、貴方の、貴女の、肌に合うものはそれだけでない。自身の本質を、自身の目によって、見つけていく旅をまた始めてもよいということである。

 

 

 

 

忘備録

ただ悲しくなれるには、悲しみを抑圧し、それを昇華させたようにみえた成功をひとつひとつ見つけ、そのひとつひとつに悲しみの産物なんですよと声をかけて回らなければならない。社会経済などまだ知らない、素直に育つべき青年と少女の鬱は、誰しもが通る哲学思考の一つだという古い認識の大人にたまたま当たり、そうして未だ、鬱に対して科学的に捉えられずに苦しみ、もがき、そうしてまた苦しみを薄く薄く確実に重ねていくのが習わしとなってしまっている人にも焦点を当てたい。これは、私だから。