脳神経外科、トラウマ科、心療内科。
に、分けた方がよいと思う。
精神科に入院した過去から引っ張る。
精神病は、トラウマ有り、神経質や真面目な気質、独創的な思想の持ち主がなる、など。
私は常そう思っていた。
例えば、鬱だと聞いたなら、お辛かったでしょうとその人の気質を持ち上げる。
ひとつ忘れていた。
これは病であった。
病気であり、医学であり、科学だった。
脳神経の異常を疑うこと。
世にはびこる精神の何か思わせる言葉ら、メンタルヘルスに鬱はじめ、独創的思想・気質、(しいては)奇才、思慮深さ、真面目、虚弱、精神的未熟性。
そんなものらと精神の病とは全く別のものだった。ただ病に、「精神」とつくから文化的、文学的、社会学的な言葉を安易に吸い寄せ、医学の要素、脳神経物質の異常だという単純で、明快に洗練されたものが消えた。
精神科にいる際、そこにいる患者らの過半数は、ただ脳に振り回され、薬を飲めばすぐに落ち着いており、正直私はその様子に嫉妬していた。少なくとも上記に挙げた、「精神の何かを思わせる言葉ら」に当てはまる人々では無かったからだ。しかしながら数名は、それらしき要素があった。ただそしてそれは、当たり前の事であった。公立の学生時代に振り当てられたクラスには、一定の割合でそういう人らがいる。そしてそういう人らが精神の病かといったら断定はできないが、多分そうではない。無差別におこる身体疾患と同様なだけであった。
私は大きな勘違いをしていた。精神の病を抱えてる人らは、死、もしくはそれに近しいものについて思考した事があると思っていたが、特段思考していなかった。私の居場所は無かった。居場所が一つ消えるごと、他の居場所にうつろう。分かり易く。消去法…